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No.9-不滅の旋律-の所感、オケ民と吾郎ヲタとしての視点より

 

こんばんは、mujicoです。最近ボケが激しくなって昨日にお風呂に入ったか真剣に思い出せないほどになってしまいました。

 

さて、今回は前回の予告通り、今絶賛上演中の「No.9-不滅の旋律-」の感想を書こうと思います。有り難いことにご縁があり2回鑑賞させて頂きました。本当に素晴らしい舞台でした。なので今回は、自分がこの素晴らしい舞台を忘れない為にも、所感という形のメモ書きとしてブログに書き連ねたいと思います。

まず始めに申し上げますと、私自身が、オーケストラ出身(ホルン吹いてました。)であることと吾郎ファンであるということだけは念頭に入れておいて頂けると有り難いです。かなり偏った意見などもあるかと思いますが、どうもファン目線なので申し訳ないです。

あと、とてもとても長いブログになってしまったので(笑)それぞれタイトルを前に付けているので、それごとに見て頂けると有り難いです。 

 

 

__舞台について(見る前の雑感)

「稲垣吾郎がベートーヴェンをやる。」という事実に歓喜しない訳がありませんでした。なんてったってベートーヴェンと言えば世界中誰しもが知る音楽の偉人です。音楽をやった人であれば、何かしらベートーヴェンの曲は触れているであろうという位メジャー中のメジャーの音楽家。それを吾郎さんが演じるというんだから、驚愕したし、そして同時にとてもワクワクしました。脚本・演出は中島さん白井さんコンビ。脇を固める数々の有名な俳優さん方、もう既に発表の時から素晴らしい予感しかしません。

彼の舞台はファンになってから2011年「ぼっちゃま」以来、日本に居なかった時期に上演された恋と音楽2を除いた全ての舞台を観劇しています。吾郎さんはとても舞台に映える人であると感じるので、毎回の舞台はとても楽しみにしていました。

今回はそれだけではなく、音楽もとても楽しみにしていました。ベートーヴェンをやるということは即ち「オーケストラ音楽を聞ける」ということ。普段クラシックに馴染みのない方も舞台とセットなら聞いて頂く機会を持てる。しかも吾郎さんが指揮するなんて…

ACTシアターのオーケストラピットが使用されると聞いて、生演奏でオーケストラが聞けるんじゃないかと淡い期待していたのですが、さすがに編成が多い「交響曲」を持つベートーヴェンの曲を生演奏するとなると多額のお金も掛かるでしょうし、何よりピット内に入り切らないでしょうから、少し残念ですが当たり前ですね。

しかし、今回はピアノと声楽の生演奏が入っており、それが非常に舞台のアクセントとなっていて「生の素晴らしさ」を強く感じました。そこについては、「音楽について」で触れようと思います。

 

 

 

 

__内容について(ネタバレ含む)

以下からは、ガッツリネタバレが入ってきます。観劇予定で、ネタバレを避けたい方は読まれないようお願いいたします。というか見てないと、内容理解できないぐらい断片的です(苦笑)又、私自身が2回観劇したので両方が混じった感想になっています、間違いもあるかと思いますがご容赦ください。

舞台は、オーケストラピット辺りまでせり出している非常に奥行きのある形。舞台転換の際にはセット達を自然に位置変換させ、部屋に居る際には上から部屋の扉が降りてくるし、外に居る時はそれが外される、流れるかのような非常に鮮やかな転換でした。それもこの奥行きのお陰で、前と後ろで別の空間を作り出せるからでしょう。何となく去年ロンドンでみた「オペラ座の怪人」を思い出しました。海外の舞台のセットっぽい感じ。

舞台のセットの脇には座席からみて左側に2台、右側に1台のピアノ。合計3台のピアノが置いてあり、舞台の音楽を彩っていました。

 

ー舞台は暗転した舞台から聞こえる断片的な"音"と、闇の中から現れたベートーヴェン(以下ルートヴィヒ)から始まる。彼が手を動かすとやがて音は音楽に変わっていき、ベートヴェンが最初に作った交響曲である「交響曲第1番(Symphony No.1)」だと分かる。そして演奏は終わり、拍手喝采へと変化していく。 

この時に造りが上手いなぁと感じたのが、暗転した状態でルートヴィヒに光が当たるのですが、それと同時に舞台上のセット達を吊るしている線も光っていて、あたかもそれらがピアノのピアノ線のように見えるところ。本当にルートヴィヒが音楽の中心に佇むように見える演出で幻想的でした。

 

(以下からは印象的なシーンを搔い摘んで書き出していこうと思います。)

 

ーその後、舞台は自然に転換し、ピアノ工房の風景に。何個かあるピアノを弾きながら品定めするルートヴィヒとそれに付き添う弟ニコラウス。そしてピアノ職人とナネッテ、アンドレアス、妹のマリアが登場 

今回出演者さん、どれも素晴らしい位に適役でした。ナネッテ役のマイコさんは本当に肝の据わった姉さん肌の自信家のピアノ職人に、マリア役の大島優子さんは初舞台とは思えない程に堂々としてルートヴィヒと向き合う女性に見える。アンドレアス役の山中さんはちょっと気が弱いけどナネッテをしっかり立ててあげる夫で良いアクセントになってます。他の方も配役が凄いし、役者さんの技量を感じるなぁと。弟役のお二人、加藤さんとJONTEさんは、吾郎さんと一緒に並んでいるとスタイル良いしどこのモデル(笑)あんな兄弟いたらほっとけないよ、世間が(笑)

 

ー恋人のヨゼフィーネが父の言いつけで結婚することになり、激昂するルートヴィヒ。彼女と兄弟を追い出した後、一人部屋で悲痛な顔で椅子に座る。

このシーン言葉を発する吾郎ルートヴィヒの表情が非常に苦痛に満ちていて、胸が締め付けられます。「なにが新世紀の芸術家だ…。」自由主義で、その時代の宮廷や貴族に仕える音楽家を否定していた彼でも、貴族達が権力を持つ時代に絶望し続けていたのでしょう。いつも感情の起伏が激しすぎるルートヴィヒが我に帰り、ポツリと自分の胸の内を零すシーンがいくつかありますが、どれも本当に心に響いてたまりませんでした。どの時代も芸術家は権力と対極なところにいながらも、それらと戦い続けてきたように思います。

個人的には、その心の苦痛を漏らす時の、吾郎ルートヴィヒが美しすぎて…、椅子に座って独白することが多いんですが、椅子に座ると吾郎さん足長いのが露骨に分かります(笑)私見てる時に「長…」って心の声出そうになりました。普段怒りを露にして人を話すことが多い彼が、本当は心の奥底では様々なものに苦しみ、それを表に出すことが出来ない不器用な人なんだと気付かされます。吾郎さんもその時は、響く力強い声ではなく、口に出すので精一杯のような声質に変化し、辛いんですが萌えます。(すみませんw)

 

ー家を尋ねてきた発明家のメルツェルはルートヴィヒに新しい発明のメトロノームを差し出し、これでオペラを作って欲しいと要請する。

メルツェル!片桐さんのメルツェルはお茶目で、この舞台に於ける癒しでした(笑)憎めない彼の存在があったからこそ、この見ているだけでも激しく体力を使う舞台を、ひと呼吸置きながら見れたんだと思います。ルートヴィヒとのやり取り(否やり合い?笑)も楽しいですよね、片桐さんと吾郎さんがやり合ってると思うと可笑しいです。

このシーンでメトロノームが出て来ますが、本当にこの機械って画期的だと思います。使ったことない方に説明しますと、メトロノームのおもりのついた棒の部分に数字が書かれていて、下になるほど多くなっています。その数値に合わせて錘を変えるっていうシステム。今の楽譜には殆どこの数値が振られています。つまりメトロノームという存在がないと最早どのテンポが正しいのかわからないってこと。

私も幼少のころからこのタイプのメトロノームは使用してきましたが、つまりこれって200年以上同じスタイルで使われてきたっていうことですよね、メルツェルマジ凄い。舞台上ではおちゃらけていて凄さが分かりづらいですが、間違いなく偉大な発明家だと思います。

 

ー酒場でフランス軍に、第9の合唱パートの原案の楽譜を見せて歌わせるルートヴィヒ。彼らはその音楽に興奮し、やがで大きな合唱となる。

このシーン、ほんっとーにカッコいいです。ルートヴィヒは音楽で、権力を屈服させる。私が考える音楽家が最も信じていることは、音楽は永遠であること。そしてなによりも代え難いこと。それを身をもって証明させるルートヴィヒにナネッテ、兄弟、フリッツ、そしてマリアが共鳴していく。


(第二幕)

 ー作曲に行き詰まるルートヴィヒの前に現れる父の幻影。その幻影に囚われ苦しむルートヴィヒの前にマリアが現れる。

 劇中何度も現れる父の幻影。父とのシーンのルートヴィヒはいきなり幼くなるんですよね。彼との対話の際のルートヴィヒは拒絶の色を放ちながら、彼の心の中にある孤独や苦痛がまざまざと見えてきます。吾郎さんの表情も自然と幼くなって、憎しみを感じてるけど何となく無防備な印象を持つのは、やっぱり肉親だからでしょうね。

マリアが現れたあと、いざこざがありながらも側にいるマリアをそっと抱きしめるルートヴィヒ。その抱きしめ方が非常に…萌えでして…(笑)後ろから抱きしめるんですがその身長差もいいし、吾郎さんの抱きしめ方が自分の両手を大島さんの前で交差させる形なんですがまるで自分自身を抱きしめているようにも見えるんです……あー守ってあげたい〜(笑)結局拒絶されて、マリアは部屋を出るんですが、その後過ちに気付いて独白するシーン。あー守ってあげt(ry

マリア、本当にカッコいい女性ですよね。勿論空想上の女性ですが、本当にルートヴィヒにこういう人がいたらよかったなぁって思う。

 

「あなたは最低の男です。でもあなたの書く音楽は最高です。それが自滅するのは許せない。…」 

ルートヴィヒと代理人として契約をして、側にいることに決めるマリア、その時の台詞です。あーめっちゃわかるううううってうなずきまくった。私も今まで音楽やってきて、そう思うことめっちゃありました。なんでこんなに酷い人なんだろう、人間として本当におかしい。そういう人に出会うこともありました。でも、その人が奏でる音楽が本当に美しかったりすると、ずるいと思いながら許しちゃうんです。だそれだけの才能を持っている人なんだから仕様がないって。私才能がある人はちょっと人間的に欠落していてもいいんだと思います。その代わりに天賦の才能を持っているんだもん、人と違って当たり前ですよね。逆にその欠落を愛おしいと思ってしまうようになる。今まで私が音楽という才能を持つ人への印象が、ルートヴィヒと綺麗に重なる瞬間でした。

 

ーお金が必要だというルートヴィヒに理由を問いつめるマリア。 

プチ萌えです、ここ。しつこく問いつめてくるマリアに、言いづらそうに「…よ、ヨゼフィーヌが…」って俯きがちにいうルートヴィヒ吾郎さん。言う前にめっちゃ口うにゅうにゅしてました(笑)凄いかわいかった(笑)それだけ!!

あとその後にどうしたらお金が得られるかマリアに尋ねるんですけど、その吾郎さんもすっごく可愛い!!「どうしたらいいと思う?」って普段のルートヴィヒじゃない位素直になっちゃう感じ。かわいい!萌え!(笑)ここだけめっちゃ感想薄いですけど、ただただ吾郎ファンとして萌えたんでw

 

「ピアノはいいな、弾けば必ず音がでる。…」

 この舞台の最初の泣きポイントはここでした。音楽は必ずちゃんとつきあえば答えてくれる、でも人間は難しい。とポツリと零すルートヴィヒ。吾郎さんが椅子に座りながらピアノを優しく触るのですがそれがまるでピアノを抱きしめているかのように見えて切なくなりました。音楽とずっと向き合ってきた彼には、人間の方がよっぽど難しいんでしょうね…。

「音楽はどんな時も裏切らないたった一人の友人」私の好きな言葉の一つです。努力した分音楽は私たちに返してくれます。人との付き合いとは違う。不器用だけどある意味真っすぐなルートヴィヒの苦悩にとても共感し泣きました。

 

終盤の方は敢えて記載しません。(手抜きとも言うw)大分ネタバレの文章でこれをいうのもあれですが、やっぱり最後の感動的なフィナーレは体験しなければわからないものですし、文章にしても中々伝わらないものであると感じます。

交響曲第9番と共に大円盤を迎える舞台を見ていて、本当に自然に涙が溢れてきました。ルートヴィヒの半生を3時間弱本当に見てきたような感覚で、彼の集大成であるこの音楽が突き刺さってくるようでした。

 

 

 

__舞台を見終えて(所感)

なんかこの舞台、見た後に痩せている気がするのは気のせいでしょうか…(笑)あんなもの凄い熱演の吾郎さんの前でいうのもおこがましいですが、私達客席も一緒になって汗と涙をかける舞台だと思います。 

 

そして何より、吾郎さんの指揮!あーもう本当に似合うなぁ。SMAPファンなら誰しもが思い出す、西村さん回のスマスマ。初めて指揮をした時はぐだぐだだったのに、サントリーホールで指揮をした際には、西村さんが爆笑しながら驚愕した成長度。しっかり勉強してきたことが身になっていて私もびっくりしました。そしてその「似合いっぷり」今回は更にパワーアップしてました。本当に迫力が半端ないです。今回は音源に合わせて指揮を振るので、どうしてもずれが生じてしまうのは仕方がないことでしょう。しかし、あの気迫と歓喜に満ちた指揮は、本当に凄かった。ベートーヴェンが間違いなく光臨していました。指揮ってめっちゃ重要ですよ。その人から強い意志とか、どういう方向性の音楽にしたいかとか伝わらないと、決して奏者は付いてきません。

2回鑑賞したんですが、2回目の方が指揮が上手くなっていたのにも感動しました。努力し続けてらっしゃるんでしょうね…ほんとうに凄い人だ。

生の声楽隊とピアノを前に指揮するルートヴィヒは神々しく、生演奏を混じり合い非常になにか満ち足りた気持ちになります。生の音の力って凄くないですか!?私本当に思うんですけど、音源で聞くより数百倍も生の演奏って気持ちが直接届いてくるし、感情を揺さぶられると思います。だからもっとみんなオケピ使おう…ピアノ生演奏使おう…お金がかかるのは重々承知ですがミュージカルで生演奏じゃないととてもがっかりしてしまいます…。

あーだこーだ話しましたが、間違いなく素晴らしく、歴史に残る舞台でしょうね。あーもっかいぐらい見たかったなぁ。切実に円盤化又はゲキシネ化を期待して以上とさせて頂きます。

あともう一個ぐらい、音楽の視点の感想を書くかもしれない、いか書かないかもしれない(笑)